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ラダははブログ ~ラダックで 母 奮闘~

ラダックの都「レー」でザンスカール人の夫と子供たちと過ごす毎日

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あの時流した涙

「あの時」とは、大好きだった会社を辞める決意をした時のことです。

創一を出産してから5日後、2009年11月27日の事でした。

その日の日記にははっきりと「今日、会社を辞める決意をした」と書いてあります。

私は産休後、生後3ヶ月の子供を連れてインドに移住し、デリーの駐在員として勤務を続ける予定でした。

子供を出産し、さあ新しい生活が始まるぞと張り切っていましたが、出産の5日後会社から電話があり、デリーでの私の手取りの給料は3分の一以下になる、それでも勤務条件は日本と同じかそれ以上働いてもらう、と宣告された事。

デリーにて家族で暮らす住居が、ネパール人のスタッフや全く知らない他人との共同になると宣告された事。

ネパールの方々には、なんら偏見などないのですが、知らない人と暮らすのは生まれたばかりの子供と一緒なので嫌だと言ったところ、ネパールの人を差別しているのかとすらいわれました。

その住居も高級で素晴らしい設備の整った家なのかもしれませんが、私たちには分不相応な高額な家賃を払って住む必要がある事。

夫もスタッフとして働く事になるので、全く知らない他人のベビーシッターに創一を預けることになると宣告された事。

インド人のベビーシッターの代わりに、信頼できる夫の親戚を1人自費でザンスカールから呼び寄せて彼女に創一の面倒を見てもらいたい、という希望を伝えたところ、不可能だと言われた事。

最後に、この条件でもデリーのコールセンターで働いている日本人女性よりずっとずっと良い条件なんだからねと言われた事。

これが私が退職する決意をした理由です。

夫はHidden Himalayaを立ち上げたばかり、子供も生まれたばかり、家族の未来に不安を感じていた夫は、お願いだから提示された条件をのんで家族のためにしばらく働いてほしいと私に懇願しました。

二人で何度も何度も話し合いましたが、私は夫の頼みを受け入れることがどうしても出来ませんでした。

それまで私に提示されていたインド勤務の条件は、給料も日本にいるときとかわらず、居住のための費用も負担あり等、そこまで悪い条件ではありませんでした。

その条件ならインドでもやっていけるだろうと、私はインドの駐在を受け入れたのです。


働くなら全力投球で働き、自分の働きに応じた対価や条件が必要なのは当然のこと、価値をちゃんと認めてもらえないなら辞めるしかないというのが私の考えで、いくら考えても提示された条件では、私には辞める選択肢しかありませんでした。

将来の事は不安だけど、創一がいる、応援してくれているみんながいる、幸せに暮らしていれば絶対に道は開けると自分に言い聞かせました。


夫は私たちが「辞める決意をした」と報告した時に私の母が言った言葉をとてもよく覚えています。

「ヤンペルさん、ユー・アー・アンブレラー!!」(もちろんジェスチャー付き)

「あなたは家族をまもる傘」

「どんな雨が降っても、どんな風が吹いてもしっかり家族を守りなさい」

「あなたとHidden Himalayaという傘で家族を守るのよ!! 紗智、何を泣いているの!!!」と笑顔で背中を押してくれました。

・・・そこでまた、号泣。なんとも涙がたくさん出る目で非常に困るであります。

その時、私たちはHidden Himalayaという小さな小さな旅行代理店を絶対に成功に導いて、絶対に信頼されるオフィスにする、と誓いました。

私たちを応援してくれている人に心配をかけたくない、インドでの新しい生活頑張ります!この日にインドに発ちます!と言っていたのに突然変えてしまったことを報告したくない、こんな条件を突きつけられた事を恥ずかしい、という思いからしばらく会社を辞めた事は誰にも言えませんでした。

辞めた理由を聞かれても、条件が合わなくて辞めたとしか答えませんでした。

お世話になった同僚の人たちやお客さんは、きっと子供を産んで突然気が変わって会社を突然辞めたのだろうと今でも思っているんじゃないかなぁ。

せめてこのブログを見てくださっている方々に、私が辞めた理由や思いを知ってもらいたいなぁと思って、記事にしてみました。

あの時は悲しい思いをしましたが、でも今は退職することを決意させてくれたあの条件に感謝しています。


強がりや悔しさからではなく、本当にそう思いながら暮らしています。


そして私が働いていたあの会社は、今でも私にとって、私を育ててくれた大切な大切な存在です。


あの時涙を流しながら二人で誓った事を実現するために、自分たちや応援してくださっている人たちの事を信じて、一歩一歩ゆっくりでも出来ることを続けて行こうと思っています。

あの時は母や父にたくさん涙を見せてしまいましたが、「私たちは今ラダックでとても幸せに暮らしているよ、ラダックに来て下さるお客様に満足してもらうために一生懸命走りまわってるよ」と自信を持って言えます(^v^)/


・・・・でも大好きだったお客さまの事を思い出し、添乗員として駆け回る自分を懐かしく、そして恋しく思うことは本当にたくさんあるのですが。


あの時の選択が間違っていなかったと、ずっとずっと思い続けるのがひとまずの目標。

前を前を前を向きつづけて、家族で走り続けたいとと思います。


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| 日々のつぶやきごと | 09:32 | comments:3 | trackbacks:0 | TOP↑

COMMENT

ジョーさんジョーさん、大好きです。
ヴァラナシで聞いていた以上でした。短かったけど、あの会社を知っている仲間として、いたらない後輩だったけど、ジョーさんの決意や行動を、なおは心から尊敬しているし、もっともっと好きになっちゃったじゃないですかーーー!!憎いことしてくれますね。なおも、たった1年だったけど本当に濃密で、添乗でチベットを走り回っていた自分が今でもやっぱり大好きです。
いつでもヴァラナシ来てくださいね。待ってますから。今年はお金ないけど、来年こそ絶対ラダック行って創一くんのお守りしますから…

| なお | 2011/04/22 16:57 | URL |

ギャーーハハッハ

づっき、ジュレーーーーーーー!!!
バラナシからもうすぐ帰国じゃない?
是非、ザンスカール訪問、いつか実現させてちょうだいッ!夫の実家にお招きして、ツァンパ食べ放題のおもてなしをさせていただきますです。
わたしも、大好きです!相思相愛でちょっとす・て・き、ですね、ウフフ!

| jokosachi | 2011/04/22 22:20 | URL | ≫ EDIT

Re: タイトルなし

コメント、ありがとうございます!応援のメッセージとても元気になります。いつかラダックで再会できる日が来るよう、ラダックのことをしっかりご案内できるように、ラダックでしっかり生きて行きます。

| jokosachi | 2011/05/09 09:39 | URL |















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