変な意味で有名になっていた
ザンスカール、ウフティ村のティンレーさん宅近くをうろうろと散策していたとき、素敵なおばあちゃんたちが畑作業から家路についているところに遭遇。
ちょうどビデオを撮っていたのでもちろん、大喜びで近づいていきました。
「おばあちゃんたち、何してるの〜、たった今、レーから新しい道通って到着したんだよ〜!」などと呑気に喋りかけていたところ
左の杖をついたおばあちゃんが「ねぇ、あなた日本人のヤンペルの妻だよね」と。
おぉ、観光客風の格好ですから見破られたのかと思って「はい、そうですよ!」と答えたところ、しばらくじっと私の顔を見て「ねぇ、あなた私のこと覚えてないの?まさか覚えてないの????」と。
私「え、全く知りませんけれどあなた私のことご存知なのですか」
おばあちゃん「ひぇ〜、私のこと覚えてないなんて・・・・信じられないっ!」
おばあちゃん「そう、あれは数年前の冬・・・・」
おばあちゃん「あなたはデリー空港で、デリーからレー行きの飛行機に乗るためにチェックインしようとしていた・・・・」
私「まさか、あの時のっっ!!!」
おばあちゃん「あなたは、チェックインカウンターで、荷物の重量が重すぎるので係員から荷物を減らすようにと指示を受けていた・・・・」
私「ドキドキっ!」
おばあちゃん「抱っこひもで赤ちゃんをお腹にはりつけているくせに、スーツケースから何やらたくさん取り出して、手荷物のリュックに入れようとして、重すぎて立ち上がれないでいた・・・・」
私「そんな記憶・・・ございますっ!!!!チェックインカウンター付近で、子供を抱え床に尻餅をついてのたうちまわっておりましたっ・・!」
おばあさん「覚えてるよね、その時ラダックに帰る巡礼グループの集団があなたに近づき、手荷物持つの手伝おうかって言ったの。」
私「やはりあの時の〜〜!!!はい、はい、それはもう!! その当時には命の次に大切だった日本から運んできた日本米を分散してハンドバッグに詰めて運んでもらって・・・、ほんとにありがとございましたぁぁぁぁぁ!!!」
おばあさん「まーあの時のことはわたしゃ絶対忘れないね。必死の形相でよろよろしながら子供抱えてまだ重い荷物運ぼうってんだから、あれが米だったとは今知ったよ。ヤンペルの妻すごすぎるってあれからみんなに言って回ってたんだけどね」
ひぃ、知らないうちに、ヤンペルの日本人妻は変な意味で有名になっていた!!
だって、あのときは日本から一人でレーに戻る最中で、それはもうラダックで手に入らない日本食を後先考えずにスーツケースに詰めれるだけ詰めて移動していたのです。
当然国内線で重量制限にひっかかり、それでも最後のあがきで手荷物で持って帰ろうとしていた矢先に、後光を輝かせながら近づいてきた数十名の巡礼帰りの人たちに助けられたのでした。
いや、懐かしいが、同時に恥ずかしい。
これからはもっと体力をつけて涼しい顔で超重い荷物を軽々と手荷物で運べるように訓練したいと思います。
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