私たちがいた病室にはベッドが12台ありました。
病室には「女性専用」と看板が入口にあったのですが、患者の半分弱は当たり前のように男性でした。
もちろん生後8ヶ月の秋生が最年少。
ネパール人の女性や男性、チベット人のおばあちゃん、わしは90歳じゃ!と医師に堂々宣言をしているおじいちゃんなど、本当に様々老若男女入り乱れて一つの病室に滞在していました。
私が外国人であるのは明白なので、みんな興味津津。
最初は好奇の目にさらされているようで心の底から嫌でした。
「赤ちゃんどうしたの?ころんだの?落としたの?」とか、秋生が苦しくて泣いている時に例の「寒いんじゃないの」とか(超暑いですが)、「授乳してあげたら」とか「帽子かぶせたら」とか余計なお世話を焼きまくりの病人の皆様とその付き添いの皆様。
精神的に参っていていつものようにハイハイそうですねとかわす余裕がなくなり、帽子帽子と言われた時に、心配して言ってくれているのはわかっていたのだけれど、つい大声で「ドクターが帽子かぶせないでって言ったの。だからかぶせてない!かぶせなくていい?それともまだかぶせてって言うの?」などと、大人げなく叫んでしまった事も一度ありました。
もともと知らない人とすぐに打ち解けて楽しく話ができるオープンな性格ではないし、本当に秋生の事で精一杯だったので、何度心の中で「お金ならいくらでも払うから個室を用意して欲しい」と思った事かわかりません。
でも、徐々に入院生活に慣れてくると、そこに入院している人たちの事情や状況や性格もわかってきて、心の中に不思議な連帯感が生まれました。
整形外科の区画の病室だったので、秋生以外は全員事故や怪我で入院している人でした。
ネパールから夏の間ラダックに出稼ぎにきていて、作業中に事故にあった寡黙なおじさん。
同じくネパールからの出稼ぎの子連れの若いお母さん。
すでに3ヶ月も入院している足を痛めたおばあさんと付き添いの世話好き娘さん。
すっかり治っていてドクターからは毎日退院してくれと懇願されるも、決して退院しないおばあさん。
大きな手術をしたにもかかわらずあまり状態が良くならず、悲観にくれてシクシク泣いている元軍人のおじさま。
機械で指を切断してしまったラダックの奥様。
中でも特に印象に残っているのが、私たちが入院した直後に交通事故にあって運ばれてきた年頃のお譲さんでした。
彼女はラマユル付近で起こった不幸すぎる事故の被害者でした。
事故は、実家で夏休みを過ごした後ジャンムーの大学に戻るために7人の学生がチャーターした車の運転手が居眠り運転をしたことで起こったそうです。
車が谷底に転落し、3名は即死だったそうです。
ドライバーと乗客一名は軽傷。
一名はレーでの処置が不可能で数日後にデリーへと搬送。
もう一名のお譲さんは見た目は軽いけがで一時は一緒の病室にいましたが、その後症状が悪化して、集中治療室に運ばれて行ってしまいました。
一緒の病室で長い間共に過ごしたお譲さんは、事故後集中治療室に運ばれましたが、何とか一命を取り留め回復に向かって治療を受けていました。
彼女は全身を骨折していて歯も折れていて、運ばれてきた当初は口も開ける事が出来ないぐらいの最悪な状態でした。
ですが、日が経つにつれて目に見えて回復し、しゃべれるようになってからは幼い秋生の事を大変気にかけてくれていました。
秋生のチベット名はカルマというのですが、彼女を含め病室の皆がカルマーカルマーと何度も呼びかけ、励ましてくれて、心の壁を作って嫌だ嫌だと思いながら過ごしていた私は、自分の心の狭さを思い知らされて恥ずかしい気持ちでした。
今日も秋生を連れて病院に行って来たのですが、あの時一緒の病室だった何人もの人と会いました。
皆秋生を一目見ると、もう大丈夫なのか、元気なのか、回復しているのか、と嬉しそうに話しかけてくれました。
あの時一緒の病室にいた人たちは、みんなで一緒に励まし合ってなぐさめ合ってそれぞれの病気やけがと戦っていた戦友のような存在なのかもしれないと感じた出来事でした。
秋生は術後の経過もよく順調に退院を迎えることができましたが、中にはまだまだ入院が必要な人もいます。
秋生や私たちの事を励まし気遣ってくれたみんなが、早く回復するようにと願うばかりです。
---おまけ---
病院の様子
ラダックの病院は、毛布と枕持参でした。

厄除けの黒いしるしをつけられ、ベッドに横たわる秋生

これが薄れてくると、看護婦さんが「黒いしるし、ちゃんとつけなきゃだめよ!」と注意を何度も受けました。

アチェレも精一杯協力してくれて本当に感謝

チベット人のおばあさんのお見舞いに、可愛い女の子2人がきていました。
ベッドの上で、可愛すぎる踊りを披露。

メントク(お花)ちゃんも踊りまくり。

患者全員が爆笑で癒されまくりでした。
手術着を着せられた秋生。

これは手術後。
赤ちゃん用の手術着というものが存在せず、10歳ぐらいの子供用の手術着を着ていました。
その姿を見るにつけおいおいと泣きまくる私に、病室の皆がもらい泣きをしていました。
手術後お見舞いに来てくれた創一とのり母

創一も秋生の手を握って励ましてくれました。

一杯抱っこしてくれてありがたかったです


赤ちゃんせんべいを食べて少しご機嫌の秋生

ひとちゃんに作ってもらったミッフィーのスリーパーが大活躍でした

退院間近の秋生

ようやくようやく笑顔が戻った時には、ほんとうにホッとしました
