6月25日、我が子のサンシャンが執り行われました。
ザンスカールの本当の伝統に触れ、涙が出ました。
夫が密かに用意していたイベント、サンシャン。
サンシャンとは赤ちゃんの誕生を親戚、村人、近くの村人、友達を呼び集めて盛大に祝う伝統行事です。
朝から150人分の食事を準備しました。
ジャガイモ150人分、にんじん150人分、キャベツ150人分、タマネギ、ゆで卵、お米・・・・。
私の担当は、野菜の皮むき。
むいでむいでむいで、むぎまくりました。
「夕方から始まる」とだけ聞かされていたのですが、サンシャンが始まったのが夜9時半。
何の儀式か、なにをすればいいのか、何が執り行われるのか、どこで執り行われるのか、いつもの通り一切聞かされないままひたすらサンシャンの開始を待っていました。
そういえばお義母さんの姿が見あたらないので夫に尋ねると、村中の家や、付近の村に「サンシャンが執り行われます。母親は外国人です。どうぞ見に来てください。」とおふれに行っていたそう。
さて、場所はどうやら自宅ではなく村の集会所。
私と夫と息子3人、伝統衣装のコンチェ(親戚による手作り)に着替えて暗闇の中を歩き集会所へと向かいました。
驚いたことに、集会所の中には人人人。
女性陣と男性陣が分かれて座っていて、真ん中には子供たち。
伝統行事とあって、男性も女性も伝統衣装に身を包んでいて、すごい光景でした。
会場の全員(特に子供たち)、外国からやってきた母親(私)に興味津々。
明らかに私が少しでも動きを見せるとシーンと3秒ほど静まります。
私が飲むとシーン。
食べ始めるとシーン。
右を向くと女性陣がシーン。
左を向くと男性陣がシーン。
正面を向くと、子供たちがさっと目をそらして全員でシーン。
さて、サンシャンに欠かせないのが「チャン」。
お酒です。
大麦?から作られる少し酸っぱい、
ラダックや
ザンスカールの人たちが大好きな飲み物です。
夫によると、お義母さんはこのチャンをおいしく作ることで大変有名だそうです。
この日のためにお義母さんが用意したチャンは、250リットル。
これを注ぎ役の人たち(親戚や親しい村人)が、会場に集まってくれている人たちに休みなく勧めます。
もちろん主役の私たちにもどんどんとチャンがやってきます。
チャンのお勧めが少し落ち着いたかな、というところでお食事です。
ライスの上に豆や野菜のカ
レーやたまごが乗って、まず私の方にやってきました。
私のお皿にだけ、スプーンが乗っていました。
外国人への優しい気配りです。
すでに夜10時過ぎです。
目の前には、お腹を空かした子供たち。
冷めるから冷めるからとせかされ、冷たい空気を味わいながらご飯をせっせと胃袋に流し込みました。
ご飯が150人に行き渡り、みんなチャンでいい加減になって、もうそろそろお開きかと思っていた頃、突然儀式らしい動きが始まりました。
村の若い男の人(すでにチャンでベロベロです)がおもむろに立ち上がり、大声で何かを叫んだあと我が子にカタ(白い布)とお金を捧げてくれました。
夫に何事かと訪ねると、「カサジュ
レーーー(ものすごく丁寧なジュ
レー)、~~村の~~さんから、この赤ん坊テンジンナムカに、カタと~~ルピーが贈られました~」と叫んだのだそう。
この叫びが100回程繰り返され、サンシャンが始まって以来熟睡している我が子は、カタに埋もれて、大声に驚き、たびたびびくついて目を開けていました。
これが終わったら、今度は私(母親)が大声で何かを言わなければならない風習とのこと。
村の若い男の人(叫んでいた人と同じ人です)に促されるまま立ち上がり、彼について何かを叫びました。
彼と同じように発音したつもりですが、なにせ私は外国人ですから、同じようには発音できません。
叫ぶ度に、皆爆笑。
ザンスカールのみなさまに楽しんでいただいてありがたいことでした。
後で聞きますと、私は
「ご老人のみなさま、親戚のみなさま、若い人たち、お友達、ジュ
レー(ありがとうございます)」と叫んでいたのだそうです。
この儀式が終わると、太鼓の音が聞こえてきました。
若い衆によるダンスと歌です。
みんな大喜びで歌に踊りに、我先にと参加していました。
私もみよう見まねで歌い踊りました。
ご老人のみなさまは満足そうにそれを眺めます。
限界に達した子供たちは、大人をおいてよろよろと家に帰っていきました。
哀れ我が子は大音量の歌や太鼓の音の中、うなされながら終始眠っていました。
ダンスと歌が終わり、お開きの雰囲気になったのが朝の4時。
酔いつぶれて私に何かを語りかけてくる、隣の家のおばあさんの手を引きながらよろよろと家路につきました。
すごすぎる体験「サンシャン」でした。